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戦争の話 [戦争の話]

仕事で新聞紙を使う事があります、今日何気なく使っていた新聞の片隅に戦争の話が載っていました。

わたし第二次世界大戦の話が好きで、映画化されたりするとほとんど見ます。

戦艦ヤマトの話とか回天の話とかは有名ですよね。

戦争を知っている年代は私の祖父母がギリギリ、親世代はほとんど知りません。
ですから祖父母世代から親世代へそして自分の世代へ三世代に語り継がれたということ、もう遠い昔の出来事のようですが絶やす事無く自分の子供にも語り継いでいかなくては。
現在我々がぬくぬくと豊かな国で暮らせているのはその方たちのお陰なのです。

この話は有名どころの話ではないのですが、ある日本兵の話。

ある夫婦のもとに召集令状が届いた、奥さんのお腹には子供が宿っていた。
その夫婦は生まれてくる子供には太平洋の「洋」の字を使おうと決めていたそうです。
子供の顔を見る前にインドネシアへ出兵し亭主は敗戦ながら生き残った、しかし全日本人引き揚げまでの間に多くの日本兵は「インドネシア独立戦争」に巻き込まれてしまう。
武器譲渡を巡る独立派との戦闘などで約1000人の日本兵が犠牲になった。
その中でも生き残った日本兵の多くは、銃を突きつけられ「独立派に参加するか、死ぬか」の選択を迫られ独立戦争に参加することになる。

独立戦争が終わり、生き残った日本兵は多かったが日本に帰れば戦犯として裁かれる事を恐れ現地人として暮らす事になった。
よく耳にする「生き残りの日本兵」のひとつの例だ。

1960年代になりインドネシアに日本の企業が続々と進出していく、現地人として暮らす日本人は通訳などでその橋渡し役に活躍した。
日本企業のサラリーマンはその男が生き残りの日本兵であり、日本に家族があるが帰れずに居る現実を知り不憫に思い日本に残された家族を探し出し、生きていることを伝えたそうな。

奥さんは何通も手紙を送るが戦犯である旦那は返事をする事も出来ずに居た。
結局夫婦は再会する事無く奥さんは他界する。

時は経ち戦犯扱いされる事も無くなった時男は日本に帰る、その時空港で迎えてくれたのは出兵する時別れた奥さんだった、別れた時のまま、老いる事無く迎えてくれた。
第一声は

「はじめまして、お父さん、洋子です。」



どうですか、いい話でしょう?

次回はバンザイクリフ編で。



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